平鍋健児はソフトウェア開発会社の社長である。30歳の時、第一子誕生を機に地元・大野に戻り、福井市に本社がある同社に転職。
49歳で社長に就任。現在は2つのIT企業のトップとして、福井と東京を行き来する多忙な日々を送っている。
解けるものから
解けないものへ
小中高校時代は、いたってまじめな生徒で、スポーツも勉強も好きでしたね。スポーツは野球やソフトボール、卓球なんかも結構得意で、幅跳びでは大野の小学生新記録を出したんですよ。勉強は特に数学。美しい定理がたくさんあって、頭と紙と鉛筆だけで、どんどん深く探求できるところがおもしろかった。やりはじめると熱中するタイプで、突き詰めていくことが好きなんですね。
高校に進んでからは、物理数学が特に好きになった。宇宙とか電気とか機械とか、あらゆるものの法則を解き明かしていくことに興味があったんです。
高校卒業後は、東京大学の工学部に進学。ただ、大学に入って全然勉強しなくなった。映画に出会ってしまったんですよね。
そこには「人間」がいて、感情があって、生き生きとしていた。映画を観るようになったことで、数学や物理では解けない世界があるということを知ってしまったんです。
それまで僕は「大学で相対性理論と量子力学を勉強すれば、世の中のことはすべて分かる」と思ってたんですよね。でも実際はそんなの分かるわけがない。たとえば、当時の最大の関心事でもある「女の子と付き合う」という問題なんて、当然ながら解けないわけです。だからとにかく映画館に通い詰めた。年間100本は観ましたね。解けるものから解けないものへ、好きなものが一気に逆転してしまったんです。これまで僕にとっては空白だった「世界の半分」、つまり数で割り切れないところにこそ、本当に大切なものがあるんじゃないかと思うようになっていきました。
このことが、僕の生き方や仕事のやり方のベースとなっていますね。
たとえば、僕が好きなソフトウェア開発の新しいやり方として「アジャイル開発」というものがある。まずは現状でできる範囲のものを作って、お客様に使ってもらう。そして感想を聞くと、問題点やアイデアが見つかる。それを都度改善していくことで、より良い製品に成長させていく。そんなふうに、使い手と作り手が会話を重ねることでものづくりをするやり方が、アジャイルです。ソフトウェア開発って、数学的で無機質で、機械的に見えるかもしれないけど、ヒントはすべて人間の中、会話の中にあり、そこから製品が育っていく。実はすごく有機的で、生き物を育てることに似ているんです。
プログラムを書くことも同じ。目に見えない概念を、人が読めるものにし、最終的にはコンピュータに分かる言葉に変換するわけですから、「執筆」に近いですよね。チームでひとつの概念を共有し、ひとつの作品を仕上げていく。だから話すこと、絵や図を書くこと、つまり「人に伝えること」が大事。僕の仕事も、ひとりでもくもくと作業をするというより、チームと話すこと。大切なのは、「人間力」なんです。