髙見瑛美 鉢植え作家『和草(にこぐさ)』

髙見瑛美は、大野の山辺に住む。鉢植え作家として日々を過ごしながら、仲間たちと町の活性化にも取り組んでいる。
大野の暮らしを愛する並々ならぬ思いは彼女をのんびりと、しかし、着実に動かしている。

あこがれの大阪

子どもの頃はずっと家の近くで遊んでました。家の裏が山なんですけど山に入って基地を作ったり、かまくらを作ったりしていました。比較的おとなしい子だったかな。

お兄ちゃんとお姉ちゃんが二人とも大野を出て大阪にいたのでよく遊びに行きました。高校の時に『RANCID』というパンクバンドのライブに行ったり。都会に出て、都会の生活をしているのがうらやましかった。だから、早く大野を出たかった。

いざ、進路を選ぶ際は、家具や雑貨のバイヤーになりたかったので職業専門学校を探したんですが「そんなのつぶしが効かんぞ」と親に反対されて大阪の外国語大学に行きました。英語が好きだったのもあるけど、なんとかして世界につながっていたかったんです。

大野を出るときはすっごいうれしかったです。外のことしか考えてなかった。大野が好きって考えることもなかった。引越しを大阪にまで手伝いにきてくれた親は淋しそうだったけど。

ひとり暮らしは楽しかった。いつかえってきてもいい。ご飯を食べてかえるか、自分で作るかも自由。電車なんか大野でほとんど乗らなかったから都会の電車に乗ることが楽しかった。

崩れ落ちた目標

大学卒業後は、英語を活かせる会社に行きたいと思いつつ、インテリアへの興味も捨てきれなくて、いろいろ受けました。親が帰ってこいと言うので、戻るつもりはなかったけど親の手前、福井の会社も一応受けました。でも、最終的に大手の英会話学校に就職しました。でも、希望していた大阪勤務(本社)ではなく福井勤務だったんです。絶対、大阪になると思っていたので大ショック・・・。開き直って、1〜2年で大阪への転勤願いを出すつもりで働きました。

福井市内でひとり暮らしを始めました。接客が好きなので、仕事は楽しかったです。講師が全てネイティヴ(外国人)なので、英語の勉強にもなりました。仕事はオーストラリアへワーキングホリデーに行くためのお金を貯めるという目的で働いていました。早くお金を貯めて外国へ行きたかったので、全然遊びもせず、休みの日は実家に帰るという生活をしていました。

実家では何もしないで庭にいるのが好きで、ボケーっと木とか空を見ているのが好きでした。ゆっくり過ごせる。ほっとする。なんだか実家っていいですね。親がいてくれる安心感と、ありがたさを感じました。仕事も落ち着いてきたし、お金も貯まるので、福井でのひとり暮らしをやめて実家から会社に通うことにしました。

ある日、会社が倒産したんです。今まで「ワーキングホリデー」を目的に働いてきたのが「どうしよう・・・」と。そこからもう一度、就職先を探すことになりました。

父との水汲み

私は何をしたいんだろう。6カ月間くらい、ただただ実家で過ごしていました。親は就職のことを急かしませんでした。家に子どもがいるというのがうれしかったのかもしれません。

6カ月、毎日欠かさず、父と裏の山に水を汲みに行きました。そこの水がとてもおいしくて、父は運動をかねて毎日汲みに行っていたんです。私もなぜか毎日ついていきました。往復40分、ずっと無言。雪が膝くらいまで積もった日でも水を汲みにいきました。父は気難しい人で、話すこともあまりなかったけど、これを機に、分かったような気がします。父は、山に登り、春は山菜採り、夏は釣り、冬はスキーと、大野の自然に密着した生活をしている。四季や自然に合わせて丁寧に暮らしていく。そんな生活っていいなあと思いました。そう感じる私が、父に似ているのかもしれません。その半年間が転機となりました。私の中で何かが変わりました。

仕事が見つかって、福井市内の家具屋に就職が決まりました。そこで4年間。接客の仕事をしました。厳しかったけど、仕事は楽しくてやりがいがありました。インテリア関連の仕事をしていることで満足し、その家具屋で認められたい、一人前になりたい、それが目標になっていきました。

植物の力を伝えたい

ある日、その職場で「植物係」になりました。会社の観葉植物に水をやる係です。仕事で嫌なことがあっても、植物を扱っていたら癒されました。そんな折、観葉植物ではなく、山の木を育てている店が大阪の玉造にあると雑誌で読んで店まで見に行ってみました。実家の近くに山の木はたくさん生えているけど、今までそれほど注目したことはなかった。そこの店に倣って、身近にある山の木を鉢で育ててみたら、水をあげたら伸びるし、芽が出るしで、すごく生き生きとしている。観葉植物とはまた違う、山の木や鉢植えというものの魅力に気付きました。それから3ヶ月に一度はその玉造の店に通いました。「給料は要らないので、この店で働かせてくれませんか?」とお願いしたこともあります。断られましたが、「福井でもぜひやってください」と言ってくれていろんなことを教えてくれました。そこから本気で鉢植えを仕事にすることを考え始め、自分なりに独学で植物を育てていきました。

家具屋を辞めようかどうしようかと悩んでいたところに、よく行っていた福井の服屋さんが「うちのスペースを使って、やりたいことをやればいいよ」と言ってくれて、そこで1年弱働きました。初めて、自分の鉢植えを展示しました。福井って都会よりは緑が身近にあるので「田舎で植物を買う人がいるかなあ」と思っていたんですが意外に反応が良かった。その年の秋に福井市内のカフェでまた展示会をしました。そこではじめて『和草(にこぐさ)』という現在の名前でやりました。鉢植えにして小さくすることで、見る目が変わる。春夏秋冬を植物の動きとしてみることでより生命力を感じる。「植物ってすごい」んです。その気持ちを伝えたい。

大野を伝え残してゆく

大野でどうすれば『和草』をやっていけるかではなくて私は大野で暮らしたいというのが前提としてある。畑仕事して、四季を楽しんで、毎日を丁寧に暮らしていくだけで充分に満たされる。お金もそんなに要らない。そんな生活を受け継いでいきたい。大野が好きだから。今後もずっと大野で大野らしく暮らしたい。そのためには、大野がなくならないようにもっと人口が増えてほしい。もっと大野が注目されて、大野に来たいという人を増やしたい。そのために『HASHU/播種』というクリエイティブユニットを2015年12月に立ち上げました。いろんな人が集まって化学反応が起きるようなコミュニティースペースを町の中心部に作って、運営していきます。私は自分が出身だから特に、村部の過疎化に危機感を覚えています。村部はより町中に比べて若い人が少ない。だから、私がお店などを持ってそこから発信するなどして、少しでも興味を持ってくれたらいいなと思う。大野には伝えなくてはならない手仕事や、暮らしの知恵がたくさんある。大野の昔ながらの暮らしが途絶えないように、今、私が昔の人たちの話を聞いておかなくては。それが、私の今やるべきことです。

髙見より、若い人たちへ

私がそうであったように、都会が楽しいと感じる時期だと思うし、それはいい。大野はただの田舎だと思っているかもしれないが(私も若い頃は思っていた)、「そんなことはないよ」と言いたい。豊かな自然も、昔ながらの暮らしも残っている。それが大事なことだと気付くのは、まだ先だと思うけど、でも絶対に気付くときがくると思う。知っておいてほしい。大野という魅力ある故郷があるということを。それから、若い人たちが大野を愛し、元気にしようと頑張っていることも。

  • 休日の過ごし方
    オンとオフの境目があんまりない。
  • 髙見瑛美

    1985年生まれ
    『和草(にこぐさ)』 鉢植え作家

  • 家の裏山が大好きです。

  • 休日の過ごし方

    オンとオフの境目があんまりない。家の裏山が大好きです。

  • 髙見の経歴

    大野市蕨生で生まれる→大野高校→関西外国語短期大学(大阪)→英会話学校(福井)→インテリアショップ(福井)→ブティック(福井)
    → 鉢植え作家として活動開始

  • 髙見の一日

    7:00
    起床 鉢植えチェック
    (水やりなど)
    8:00
    朝食 家事
    10:00
    山歩き(植物仕入れ)
    12:00
    昼食
    13:30
    鉢植え制作
    17:00
    家事
    19:30
    夕食
    22:00
    就寝
  • 髙見の座右の銘

    あせらない 髙見瑛美