巣守和義は、大野に展開するリゾート施設の経営者である。自身の経営するスキー場に観光客を呼び込むだけでなく、
キャンプ場・道の駅九頭竜の運営を委託されるなど、経験と知識を生かし、大野の観光リゾートの一翼を担っている。
スキー場で暮らして、
スキー場で死にたい
和泉村で生まれました。代々、ずっと和泉村で暮らしてきた家系で、父親は公務員、僕は長男です。父がスキーの選手だったり、祖母が石徹白スキー場を経営していた家の出身だったりしたのも影響しているのかもしれませんが、僕はとにかくスキーが好きで、生活はひたすらスキー、スキー、スキーばっかり。
大学でもスキーがしたかったので、体育会スキー部が強い学校を選び、名城大学へ。アルペンの選手でしたが、上下関係がキツい世界で、なんかあると説教が入るみたいなね、そんな生活でした。スキーばかりしてたら5年生になってしまって、1年間アルバイトして卒業しました。
小さい頃はオリンピック選手になりたいなどと思いましたが、選手としては難しいことも分かってきまして・・・。でもスキーに関係した仕事をしたかったので、プロスキーのスクールをつくるとか、ペンションで選手を受け入れるのもいいなとか、大学を出るころには、そんなことを漠然と思っていました。就職活動もスキー関係、観光関係のところを中心に回りました。長男だから帰ってこいという、親の面倒誰がみるんだという暗黙の洗脳もあったのかもしれないけど、いつかは大野に帰るんだろうな、とぼんやり思ってはいましたね。でも、まずは東京で就職しました。
入社したのは西武鉄道。最初は国分寺駅の駅員さんになったんです。鉄鋏でパシパシ切符切ってましたよ。その頃は自動改札じゃないですから、一日10万人の切符を切ってました。毎日切符切ってるか、飲みに行って遊んでるかでしたね。とにかくよく飲んで、遊びました。