山内李佳 パティシエ 『パティスリーミラベル』経営

山内李佳は大野にケーキ店をオープンさせたばかり。ケーキ作りに、接客に、毎日忙しく過ごしている。
碁盤の目の片隅で、彼女の店は明るく大野を照らしている。

つくる楽しさ あげる喜び

ケーキ屋になりたいと思ったのは小学校5年生の時です。家でお母さんと一緒にケーキを作っているのが楽しくて。そして、作ったものを友だちにあげると喜んでくれるじゃないですか。
それがまたうれしくて。中学生になってからも、よくケーキを作っていました。作ることが本当に好きだったし、勉強が苦手だったのもあって自分の道はこれしかないという思いが日々強くなっていきました。高校2年の頃に、迷うことなく製菓の専門学校に進路を決めました。誰にも相談はしなかったです。
「勝手に飛び出していく」という感じでした。親は何も言わなかったけど、祖父母からは「早く帰ってこい」と、言われました。申し訳なかったと思います。いざ、大野を出るときはうれしさとか、不安とか、何もなくて「ただ出ていくだけ」といった感じでした。

激務の果ての覚悟

大阪は人が多いし、空気が悪いし、水の臭いが気になるし、何より、マンション暮らしに馴染めませんでした。実家だと、2階の自分の部屋にいて、下で音がすると安心しました。それは誰かがかえってきたということだから。でも、マンションで音がすると、それは赤の他人。一瞬、弟がかえってきたのかなと思う自分がいました。

専門学校は「楽しいな」くらいの感覚で、もちろん、パティシエになるつもりではいたんですけど、まだ現実的に仕事としてはとらえていませんでした。1年学校に通った後、バイトしていたケーキ屋さんにそのまま就職しました。

そこでは製造を担当しました。でも、現実は厳しかったです。 2年やりましたが、自分は向いていなかった。辞めようと思いました。でも、引き止められて、結局は接客担当として残りました。意外にも、接客は自分に向いていました。店長の言うことを誰よりも聞いたし、誰よりもよく怒られました。その甲斐あって店長代理にまでなりました。でも、本来やりたかった製造ではなくて接客のポジションで動けなくなっている自分がいたんです。「私、何してるんやろう。このままではあかん」5年間やった接客もやめました。

レストランに転職しました。そこでデザート担当のパティシエとして働きました。ここがまたすごく厳しいところで、日中の激務をこなし、店が終わってから夜中じゅう練習していた。生き地獄といえば言い過ぎだけど、精神的にも肉体的にもつらかった。でも、そこで何とか踏ん張って、強くなれました。そうすると、今度は意地みたいなのが出てきて「もうこの道で生きていくしかない」という気持ちに切り替わりました。

その後、カフェのオープニングを手伝ってほしいと頼まれ、そこで半年働きました。パティシエとして入ったけど、ケーキやデザートを作るわけではなかったので物足りなくてやめました。

また別のレストランに移りました。レストランでのデザート作りが自分ではすごく楽しくて。本当はレストランのデザート作りが一番好き。メニューを考案して、それを代表にプレゼンしたりと楽しかったけど、途中から会社の方針で安いデザートを大量に作ることが多くなり、だんだんと自分のやりたいこととずれてきたのでやめました。

また違うレストランに勤めました。そこはとても落ち着いた店でした。今までが忙しすぎて、考える間もなかったんで、ここではいろいろ考えました。

大野に戻りたいという気持ちは常にありました。みんなに戻っておいでと言われていたし、大野が好きだったし、何より、大好きな家族がいるから。2〜3ヶ月に1回は、たとえ日帰りでも大野に帰っていました。大阪にいる時は仕事モードでつらくて当たり前。頑張らなあかん。でも、大野に戻ってきたらモードはオフ。心から安らげました。大野を出ていない姉と弟を見て「いいなあ。私もそうすればよかったかな」と考えることもありました。

大野で新しいお店ができたと聞くたびに、すごいなあと思っていました。当時の自分には無理だったから。同時に、焦りと、先を越されたという悔しい気持ちもありました。自分も一生都会にいる気もないのにダラダラしていたらあかん。そろそろ店という組織の中で動くよりも自分ひとりでやっていい頃だったし、もうすぐ30歳になるし。大野へ帰ることを決めました。

私の「大野へかえろう」

店をやっていける確固たる自信はありませんでした。今まで大阪で頑張ってきたので大野でもなんとかできるかな、と思っていました。今まで信じてやってきたことをすればいい。とりあえず自分がおいしいと思うものだけを出してみようという感じで始めました。

オープンしてずっと忙しかったです。ほぼ毎日売り切れました。家族のみんながお店を頑張って宣伝してくれたんです。姉と弟は、ずっと大野にいたので知り合いをたくさん連れてきてくれたし、祖父から聞いて来店してくれるおじいちゃんやおばあちゃんもたくさんいました。それが大野ならでは。すごくうれしかった。祖父は今でも毎日のように店の様子を見にきてくれます。リピーターのお客さんも来てくれています。朝からまとめ買いしてくれる人もいます。本当にありがたいです。

のんびりしたくて
大野に戻ってきたのではない

お客さんが来ないかもしれない。ケーキが売れ残るかもしれない。そういう覚悟とともに始めました。だから、本当によかったです。真面目に頑張っているからお客さんが来てくれているんだと思います。材料、レシピを含め、すべてに妥協はしていません。自分がいいと思ったものだけを作っています。

店に閉じこもってケーキを作っていると、大阪の街並みが浮かんでくるんです。大阪にいる錯覚に陥る。それだけ大阪と遜色なく仕事ができているんだなあって。大野でここまでできるとは思わなかった。

まだ品数が少ないことと、仕事と生活のバランスがとれていないことに満足していないけど、大野でも大阪の時と同じような働き方ができていることが幸せです。私は仕事が好きだし、忙しい方が楽しい。のんびりしたくて大野に戻ってきたんじゃないから。

山内より、若い人たちへ

大野を出ていくかどうかは人それぞれ。信念を持って大野でずっと頑張っている人もたくさんいる。私は人に厳しく言われないと分からないタイプだったので、大野を離れ、大阪という場所で厳しい経験ができて良かった。

他で就職するのもいい。でも、周りに心配している人がいることを忘れないでほしい。
私はそれを自覚せずに出ていってしまったから。

戻りたくても戻れないというのは仕方がないけど、大野に戻りたいという気持ちが少しでもあるなら、私は戻った方がいいと思う。

  • 休日の過ごし方
    オフはカフェにいきまーす。
  • 山内李佳

    1985年生まれ
    パティシエ 『パティスリーミラベル』経営

  • 真名川の堤防と蕨生小学校が好き。

  • 休日の過ごし方

    オフはカフェにいきまーす。真名川の堤防と蕨生小学校が好き。

  • 山内の経歴

    大野市木落に生まれる → 大野高校 → 製菓専門学校(大阪)→ ケーキ店(大阪・心斎橋)→ レストラン パティシエ(大阪・梅田)→ カフェのオープニングスタッフ(大阪・南堀江)→ レストラン パティシエ(大阪・中之島)→ レストラン パティシエ(大阪・本町)
    → 『パティスリーミラベル』 オープン

  • 山内の一日

    5:00
    起床
    6:00
    仕込み
    10:00
    開店
    19:00
    閉店
    20:00
    仕込み
    23:00
    終了
    24:00
    就寝
  • 山内の座右の銘

    出来ないじゃない やらないだけだ 山内李佳