山本恭子 うおまさcafe オーナー

高宮正伍は越前大野駅の近くの高宮写真館の店主である。平成元年に大野で生まれた。
まだあどけなさの残る若者ではあるがカメラを持つと途端に声は大きくなり、目つきが鋭くなる。彼には跡を継ぐという明確な目標があった。

父の後ろ姿

小さい頃はやんちゃでした。いたずらばかり。言うことをきかず、ずっと外で遊んでました。中学校では化学部に、高校ではバドミントン部に入りましたがヒザを怪我して、その後は演劇部へ。演劇に明け暮れた高校生活でした。県大会でいくつか賞をもらったりと、充実していました。

小学校6年の文集で「カメラマンになる」と書いていました。中学3年の頃に一眼レフカメラを父にもらってメカに興味を持ち、父親の撮影する姿を見ていて、かっこいいなと思っていました。進路を考える際も「カメラマンって、そんなにいない。この仕事で食べていけたらいいな」と漠然と考えていました。この時期は、フィルムからデジタルに移行し始めた頃で、現像の仕事も減り、大野の人口も減り、父からは「この業界は今後どうなるか分からないから、将来は別の仕事をしろ」と言われていて、店を継げとは一度も言われたことがありませんでした。でも、好きなことは写真だったので、今の道を選びました。写真の専門学校に進もうと思い、いろいろ探したのですが、営業写真館の技術を学べるところは唯一、父が通ったのと同じ大阪の日本写真映像専門学校でした。

四畳半生活

大野から旅立つ際は、「うれしい!」しかありません。これから先の新生活がとても楽しみでした。さびしい気持ちはありませんでした。ずっと都会に憧れていて、東京、大阪、名古屋のどこかに行きたかったんです。大野から一度出たかったんです。

下宿先を決めるときに風邪をひいてしまい、親に任せたんです。そうしたら、マンションの入口は高級ホテルみたいなんですけど、部屋は四畳半。しかも、キッチン込みでその広さ、えー、こんなところで暮らすの!?と。でも、学校指定のマンションで友だちが隣だったからとても楽しかった。本当に楽しい毎日だったなあ。親のありがたみも身にしみましたね。今は実家暮らし、料理が自動的に出てくるってありがたい。

専門学校に行ってきちんと写真の勉強をしました。課題が「家族を撮って来い」とかで、そこにいる子どもたちとかを勝手に撮ると怪しまれるので、親に学生証を見せて「撮らせてください」とお願いしました。風景写真の場合は、大阪南港とか、工業地帯とか、ものものしいところにも行きました。休みの日はよく出かけました。大阪には新しいものが溢れている。それにすぐに触れられる。話題になっているものなど、思い立ったらすぐに見に行ける。行列のできるような話題のおいしい店に行ける。憧れの都会生活、それらがいい経験になりました。

5年間の下積み

卒業してからは、大阪の八尾市にある写真館に就職しました。顧客との接し方、コミュニケーションなどの基本について、社長が毎週、朝、仕事が始まる前に、学校のようなセミナーをしてくれました。1〜2年目は、スタジオで幕を引いたり、椅子を持って行ったりと雑用ばかり。でも、撮影現場にいることで得たものはすごくありました。ポーズのとり方、光の使い方など、いろいろです。一体、いつになったらカメラを握ることができるんだろうと思っていました。普通は5年くらい修行しないとカメラを持たせてもらえないんですけど、たまたま辞めた人もいて、僕は3年目でスタジオのカメラを握らせてもらいました。責任重大です。

始業は9時45分でしたが、学校や、幼稚園などの行事があるときは早朝6時からの仕事。撮影の後すぐ会社に戻ってパソコンで写真の整理をしたり、色調整をしたりなどでかえるのは夜9時頃と、かなりハード。12月の忙しい時期など遅いときは日付が変わっていたこともありました。基本、家と会社の往復でした。

僕の「大野へかえろう」

就職して5年で大野へ帰りました。元々大野へ帰るつもりでした。でも、7年間は大阪で働いていたかったんです。1社しか知らないのであとの2年は違う会社で仕事をしてみたかった。でも、実家の写真館の建て替えの時期がちょうどきたんです。店も古くなったし、消費税が上がる前に建て替えをしなくてはという話になりました。「お前が帰ってくるなら新しい店に建て替えるけど、どうするんだ?大野に帰るか大阪に残るか、早く覚悟を決めろ」と父親に言われて2年早く、大野に帰る決心をしました。新店舗に関しては、父は僕の意見をほとんど聞いてくれたので、とても感謝しています。新しい店は2015年3月にオープン、4月に代表が僕に替わりました。店主になるには、まだ早いのではと思いましたが、撮影を任せてもらい、やりがいを感じています。

大野なりのやり方

「この人をどう撮ったら喜んでくれるだろう」「どの光をあてて撮ったらこの人は一番綺麗だろう」その人に合った撮影に労力を惜しまず、よい一瞬を狙い、納得のいくまで、シャッターを切る。それをいつも心がけています。アングルも変えます。右と左でも、ちょっと上から撮ったり、下から撮ったりでも全然違います。スタジオはライティングが固定しがちですが、僕はシーンに合わせてライティングを変え、バリエーションを増やすようにしています。

大阪と大野では人口が全然違うので都会と一緒のやり方ではなかなか難しいこともあります。たとえば成人式などに向けて、大阪では着物屋さんと「振袖展示会」のコラボイベントをすると盛り上がりますが、大野だと貸衣装屋も周辺にはなく、お客さんの数が少ないので、いい企画だと思うけど、反響があるかどうか。都会では気軽に企画を立てて、やれば結構人が集まるんですけどね。

昨年、ベビーマッサージ教室(ohana*絆)とコラボして、赤ちゃんの写真を撮ってプレゼントをするというイベントをしました。お母さんたちにとても好評でした。規模が小さくても積極的に何か企画していくことは大切ですね。参加した「大野ポスター展」ではグランプリをもらったおかげで、大野の人たちがみんな知ってくれて「ああ、ここの写真館か」「ああ、ここの写真館か」「私も撮ってほしいわ。べっぴんに撮ってや」と言ってくれる。担当してくれた高校生(田中愛梨さん)に感謝ですね。

だんだん、大野なりのやり方をつかみつつあります。イベントに参加して、皆さんと関われるのが楽しい。いろんな人とアイデアを組み合わせて新しいことができればいいですね。これからは、市外からもお客さんを呼び込みたい。また、観光客向けに、何か写真館にできることはないか考えています。

高宮より、若い人たちへ

なんでも全力でやっていてほしい。そうすると、自然と応援してくれる人が増え、声をかけてくれる人が増え仕事につながります。そうすれば大野にいても楽しい。大野は本当にいいところ。大野には「したい仕事がない」と言われるけど、自分の興味のあることを全力でやっていると新しい仕事が生まれてくると思いますよ。

  • 休日の過ごし方
    休日は福井に買い物によく行きます。
  • 高宮正伍

    1989年生まれ
    高宮写真館代表

  • 冬はボードしたりしてます。

  • 休日の過ごし方

    休日は福井に買い物によく行きます。冬はボードしたりしてます。

  • 高宮の経歴

    大野高校→日本写真映像専門学校(大阪)→岡本スタジオ(八尾)
    → 高宮写真館

  • 高宮の一日

    7:00
    起床 開店準備
    9:00
    開店
    19:00
    閉店
    20:30
    仕事終了
    24:00
    就寝
  • 高宮の座右の銘

    銀鱗躍動 高宮正伍