牧野俊博 モモンガコーヒー店主

牧野俊博は、コーヒー店の店主である。2014年5月、大野市元町に開いた店の名前は、「モモンガコーヒー」。
自家焙煎のコーヒー豆、そして大野の水で淹れるコーヒーにこだわったこの店には、老若男女問わず、市内外から客が訪れる。

「30歳までに一生の仕事を見つける」
それだけ決めて、大野を出た

子どもの頃から、モノを作るのは好きでした。ただ、職人になりたいとか、野球選手になりたいとか、具体的にあこがれたものはなく、未来は漠然としていましたね。だから高校を卒業した時点で、とりあえず大野を出たい、なんでもある東京に行きたいと思いました。大野には特別愛着があるわけじゃなかったし、生まれた場所だから嫌いじゃないけど、ずっと地元にいることは考えられなかったです。ただ「30歳になるまでに、自分の一生の仕事を見つける。」それだけは決めていました。

東京の大学に進学しても、自分が何をしたいのか、見つかりませんでした。勉強もおもしろかったし、喫茶店でのバイトも4年間続けるくらい好きで。でも、これだ、という進路は見つからないまま、何となくモノを作るのが好きだったから、メーカーに就職を決めました。

僕の「大野へかえろう」

就職した東京の電機メーカーでは、営業職に就きました。営業という仕事は肌に合っていたと思います。小売店に対して単純にモノを売るというよりもセールス手法を提案する仕事でしたので難しさもありましたが、人と接し、相手のために想像力を働かせることに向いていたんでしょうね。同期の中でトップの成績を取ったこともあります。

都会での生活と、やりがいのある仕事。充実した日々を過ごしていた頃、母が病気し、福井に帰らざるを得なくなりました。東京の暮らしは楽しかったから、帰りたくなかったし、地元に帰ってからも、東京に戻りたいといつも思っていました。

働いていた会社は、福井に事業所がなかったので、地元に帰った後は福井の携帯電話販売会社で働くことに決めました。接客業は性に合っていましたし、楽しんで仕事をしていたものの、「販売員」としての自分の将来性を考えた結果、3年半勤めましたが転職することに決めました。駐車場経営の会社です。でも今度は、給料が良い代わりに過酷な労働環境が待っていました。深夜でも、メンテナンスの依頼やクレームが、携帯電話にガンガンかかってくる。給与水準のために無理をする、そんな生活が自分らしくないと感じ始めましたね。

28歳。
行き詰まって思い出した、自分との約束

気づいたら28歳。行き詰まった状況の中、「30歳までに、本当にやりたいことを見つける」と決めていたことを思い出し、あらためて自分を振り返ってみました。モノを作るのが好きだったこと。人と接する仕事で、能力を発揮してきたこと。大学時代に4年間バイトした、喫茶店での仕事が好きだったこと。それ以来、社会人になってもいつも生活の一部にコーヒーがあったこと。もしかすると僕にとって、コーヒーを淹れることや、そこで憩う人たちとのふれあいが特別なんじゃないか。きっと人生をかけるだけの価値がある、と思うようになりました。

ただ、地元大野で、コーヒーだけで勝負するのは恐ろしすぎました。この田舎町のどこに、そんな需要があるのか。

酒や料理も出すような飲食店なら、大野でもやっていける可能性はあると思ったので、飲食店の開業を目標に福井のイタリアンレストランで修行を始めてみました。その店のメニューを、ひと通り美味しく作れるようになるまではやめないと決めて頑張ったんです。でも、お金がたまらない。料理のスキルは上がっても、自分の店を開くための資金はいつまでたっても稼げそうになかったので、もう一度転職しました。3年という期間を設定して、今までのスキルを生かせる電機メーカーの営業職に就き、資金を稼ぎ始めました。そしてこの機会に、一番興味のあった「コーヒー」について真剣に勉強することにしたんです。

「自分のものさし」でたどりついた
本当にやりたいこと

僕は、自分で学びます。気になったお店は、片っ端から行ってコーヒーを飲みました。いろんなお店でコーヒー豆を買い、いろんな方法で自分で淹れてみる。コーヒーの量、粉の細かさ、お湯の温度、抽出する時間。おいしい、おいしくない。このやり方はいい、悪い。人に教えてもらうより、自分でやる。試行錯誤する中で「自分のものさし」をつくることは、営業をしていた時代からのやり方です。先は見えなかったけど、とにかく、「やった」。興味がわいたらすぐに。使い方も分からないまま高価なエスプレッソマシンを買ったりもしました。きれいなハートのカフェラテが描けるようになるまで、仕事からかえってくると、毎夜、何度も作って、感覚で覚えました。1年以上。「変態じみている」と自分でも感じるくらいコーヒーにのめり込み、ある結論に達したんです。「大野の水で淹れたコーヒーは、おいしい!」

そんな中、大野で手仕事のモノを販売するイベントの出店に誘ってもらって、大野の水で淹れたコーヒーやカフェラテを提供したんです。その時の多くのお客さんのリアクションに、大きな手応えを感じました。僕のコーヒーが大野で受け入れられた、と感じたんです。うまくいくという確信がありました。

自分にあるのは、人と接する能力。そして、自ら辿り着いたコーヒーの技術と知識。そしてこの場所にあるのは、「水」という資源。自分の能力と、大野という場所のつながりを、「自分のものさし」に照らした時、この場所でしかできない、自分にしかできない、「一生の仕事」が見つかった、と思いました。それは、大野で初めて「コーヒー文化」を発信する人になること。僕は、大野で「コーヒー店」を開くことを決めました。

時とともに、大野と
コーヒーの関係をつくっていく

大野に店を開くと決まってから、不思議なくらい次々と、素晴らしい出会いがありました。店の設計をしてくれた若い設計者をはじめ、言葉を少し交わすだけで分かり合える人たちがどんどん自分に集まってくるという不思議な感覚も大野ならではですね。この場所で、自分から何かを発信しようという人たちがたくさんいて、新しいことをしようという空気が流れています。

開店して約2年がたちますが、今はなるべくお手頃な値段で、コーヒーを飲む文化を大野に根付かせる時期だと思っています。5年くらいたったら、舌の肥えてきたまちの人たちを納得させるようなコーヒーを扱う、そんなお店になっていくのかな。大野の水で淹れたコーヒーを、ブランドにしていきたいですね。まだまだですけど。時を経て、店の役割も自然に変わっていくんでしょう。その中で、しっくりとこのまちに根付いていくお店になることを夢見ています。

牧野より、若い人たちへ

大野という場所で誰かに雇ってもらおうと考えると、少し厳しいかもしれないですね。でも、自分で何か新しいことを仕掛けたいと思っているなら、その種はたくさんある。おもしろいことを考えている人たちとのつながりが、自分の進む道をサポートしてくれる。大野のことは好きじゃなかったはずなのに、年を重ねるごとに「大野じゃないとだめだ」と思うようになったのは、ここにしかないものがあり、ここにしかない人脈があり、自分にしかできないことがあると気づけたからだと思います。

本当に移住するとか、生活基盤を大野に移すとかそういうことじゃなくていいから、たまには帰っておいで。大野は癒しのまちだと思うから。ここにいるだけで、見つかることもたくさんありますよ。

  • 休日の過ごし方
    休みの日にはコーヒー淹れません!
  • 牧野俊博

    1980年生まれ
    『モモンガコーヒー』 店主

  • 人が淹れたコーヒーを必ず飲むように心がけてます。ずっと勉強です。

  • 休日の過ごし方

    休みの日にはコーヒー淹れません!人が淹れたコーヒーを必ず飲むように心がけてます。ずっと勉強です。

  • 牧野の経歴

    大野高校 → 大学(東京) →電機メーカー営業(東京) → 携帯電話販売店店長(福井) → 駐車場メンテナンス会社営業(福井) → イタリアンの店で料理修行(福井) → 電機メーカー営業(福井)
    → 『モモンガコーヒー』開店

  • 牧野の一日

    6:30
    起床
    8:00
    店で仕込み、そうじ
    10:00
    オープン
    19:00
    閉店 豆の焙煎
    20:30
    帰宅
  • 牧野の座右の銘

    一杯入魂 モモンガコーヒー 牧野俊博